BLOG 【かえる日和】

いつの日もこの胸に

日が変わってしまった。

ブログの毎日更新チャレンジは決まった時間に書いているわけではなく、気まぐれにパソコンに向かいたくなった時に書いているのでこういう事になる。

この時間にやるっていうのを決めておけばいいという話だけど、それは自分にとって一番苦手な話である。

気まぐれにフラフラ、という感じはいつから身に沁みついてしまったんだろう、なんてことをふと考えてみた。

もちろんこんな問いかけは不毛である、子供の時からに決まっている。

ただ、気ままに、自由にという立ち振る舞いや、衝動的に何かに取り組む事にある種のスイッチというか、快感を覚えるような刷り込みが自分史のどこかに存在している感じがあったのだけれども、なんだろうか。

思うのは、大学生時代。

何でも自分でできると勘違いしていた頃に、バイクで一人旅に出かけた。

大まかな行程とわずかな所持金という制約以外は自由で行き当たりばったり。

きっかけはそのあたりか。

その時は東北を目指した。

色々とおぼろげだが、まずは仙台を目指し、その後はその日の思い付きで行く先を決めた。晩御飯を食べながら地図をたどり。面白そうな場所を見つけてはその場でプランを描いた。

ちいさなトラブルや思いも知らない出来事に都度遭遇するのだけれど、そのすべてが楽しくて仕方がなかった。むしろハプニングを望んで前に進んでいた感じもある。

行き当たりばったりが災いしてこんな事があった。

行く先が決められずただ走っていた日、なかなか目的地も定まらなかったので、ついだらだらと走り続けてしまい宿の手配が間に合わなくなってしまった。

基本的にはテント泊で道中過ごすつもりだったけど、何日かに一回はビジネスホテルかユースホステル、国民宿舎的なものを使おうと考えていた。

そのどれもが後手に回り何処も確保が出来なかった。

なんのことはない、バイクを降りて電話ボックスに向かうのが億劫だったのである。そんなことをしていたら予約ができる時間が過ぎてしまったのだ。

とっぷりと日も暮れてしまい、食い物屋も軒並み閉まっていた。

仕方がないのでスーパーで簡単に調理できる食材だけ調達し、野営できそうな場所を探す。

そして、とりあえず河原か山中かで悩み、結局山中を選んだ。

あまり山奥だと今からでは危険と思い、町からそれほど離れていない里山を選んだ。

グルグルと山道を走り、何となく人里を抜けたあたりの道端に空き地を発見。

そこそこ整地されてたので、本日の宿営地をその場所に決めた。

一人で、しかもキャンプ場でもない場所で寝るのは初めてで結構な不安があった。さみしくて不安で怖くて、でも何とも言えない高揚感があり、ただただ自分が置かれたこの状況に酔いしれていた。

持参してきたAMラジオをつけると地元の放送局が若者向けの番組を放送していた。そのときかかっていたミスターチルドレンのイノセントワールドが妙に心に残っている。

その時の自分の感情にぴったりとはまり、がっつりと心をわしづかみにされたような感覚だった。今でもその曲が偶然かかると、その時の光景や空気の匂い、感情までもがフラッシュバックされるのがなんとも不思議だ。

そんな、ハプニングを自ら望んで楽しむ様な事を選んでしまう刷り込みが、この頃にあったのは確実だろう。

もちろん現在はこんな予測不可能な行動ばかりをしているわけではない。偶然ばかりに頼っていたら命がいくつあっても足りないし、第一まともな経済活動ができない。

ただ、行き過ぎて凝り固まっていないか。

自由な発想にフタをして行き詰っていないか。

そんな問いかけも今の自分に対してしてみる。

この話は余談がある。

無事一夜を過ごし辺りが白んできた頃、良く寝れなかったこともありテントからもそもそと這い出して外の空気を吸いに出た。

すると里山の林の中かなんかと思っていた場所に民家の屋根が見えた。

何のことはない。ここはおそらく民家の敷地だ。

果樹園か何かを営む農家の裏庭か駐車場といったところか。

あわててその場を退散したことは言うまでもない。

行き当たりばったりの自由は、やはり行き過ぎは良くない。

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