BLOG 【かえる日和】

もしもパソコンが無かったら②

パソコンがない日常の世界線を想像してみようと思い立ち、早速思考実験を行った所、最初の段階でつまづいてしまい、まずは一旦整理しましょう。というのが前回までの流れでした。

パソコンがない状態を想像してみたところ、そもそもパソコン自体が色々と進歩をしていて、元々個人的なタスクを処理する用途に適した処理装置だったものが、社会へとつながる情報の発信及び収集の窓口へと変貌していたという事実に気が付きました。

インターネット上のコミュニティが成熟すればするほど、パソコンはそこにアクセスする大切な端末となります。

自分の場合、仕事のデーターはサーバー上で管理しているので、パソコンが無いとなると、貴重な資料であってもアクセス不能な無意味なデーターになってしまいます。

極端に解釈すると、パソコンを否定し放棄すれば、あるはずのものが無かったことにされてしまい、社会との接点も絶たれ、居ない事にされてしまうのです。

これは怖い。

こんなことを考え始めたらますますパソコンが手放せなくなってしまいます。

事実、自分の環境的にはパソコンは2拠点にそれぞれ1台。それにノートPCを持ち歩き、情報への接続が滞らないように整備しております。

そうやって、成長を続けるデーターを守るため、インターネット上のコミュニティに参加する為の環境整備に躍起になっているんですね。

そうなんです。無意識なのか意識的なのか自分でもいつの間にかパソコン行政区を自分の中に作ってしまい、インターネット自治区への事務処理を担う機関として強大な権限を与えてしまっていたようです。

自分のパソコン、インターネット環境を都市の成長になぞらえてみましたが、これは言いえて妙かも知れません。

最初は小さな一軒家だったものが、周りにどんどん人が集まってきて、集落となり、村となり、町となりと成長を続けていった結果、割と無秩序に成長し続け、いびつな都市になってしまったというのが今の私の環境なのです。

ひととおり考えてみたら何となく着地点が見えてきました。

現状をあぶりだせたので今回の問題提起について整理してみましょう。

以下、何となくパソコンに対して違和感を覚えていたのはこういう事なのでは、と考察してみました。

そもそも、環境が変化していることに気が付いていなかった。

無秩序に増殖したデーターを適切に管理できておらず、不意のアクシデントでそれらにアクセスできないことに恐怖を感じていた。

個人の閉ざされたツールかと思っていたら、社会の接点としての機能を持ち始め、いい加減な運用が出来なくなってきた。

ただでさえリアルなコミュニケーションが苦手なのに、ここにきて急速にインターネットを通じた対話方式が発展してきて、準備が間にあっていない。

情報の発信力の向上を常に求められていて、その難易度が年々上がっている事が参入障壁となっている。と思っている。

それらのことがきっかけとなり、パソコンの是非を問う事になったのですが

そんな感情は正しく対処すべきなのか、思い過ごしなので放っておけばいいのかを見極めてゆきたいです。

そのためには、上記の段階ではネガティブな感情しかあらわになっていないので、次回にポジティブな気持ちになれるようなパソコンを介しての取り組みを列挙し、それらを併せて考えてみましょう。

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